Oホ陳楽iレ)句

September 0592007

 片耳は蟋蟀に貸す枕かな

                           三笑亭可楽(七代目)

蟀(こおろぎ)は別称「ちちろむし」とも「いとど」とも。古くは「きりぎりす」とも呼ばれ、秋に鳴く虫の総称でもあったという。今やコンクリートの箱に棲まう者にとって、蟋蟀の声は遠い闇のかなたのものとなってしまった。片耳を「蟋蟀に貸す」といった風流(?)などとっくに失せてしまった今日この頃である。部屋の隅か廊下で、あるいは小さな家の外で、蟋蟀がしきりに鳴いている。まだ寝つかれないまま、寝返りをうっては、聴くともなくその声に耳かたむけている風情である。「枕かな」がみごとであり、素人ばなれした下五ではないか。蚊も蝿も含めて、虫どもはかつて人と共存していた。「片耳はクーラーに貸す枕かな」と、おどけてみたくもなる昨今の残暑である。落語家の可楽は若い頃から俳句を作り、六百句ほどを『佳良句(からく)帳』として書きとめておいた。ところが、あるとき子規の『俳諧大要』を読んだことから、マッチで気前よく自分の句集を燃やしてしまったという。そのとき詠んだ句が「無駄花の居士に恥づべき糸瓜哉」。安藤鶴夫によれば、可楽は色黒で頬骨がとがった彫りの深い顔だけれども、愛敬がなく目が鋭かった。人間も芸も渋かった。そんな男がひとり寝て蟋蟀を聴いているのだ。昭和十九年に自宅の階段から落ちて三日後に亡くなった。行年五十七歳。六〇年代に聴いた八代目可楽の高座もやはり渋くて暗かったけれども、私はそこがたまらなく好きだった。安藤鶴夫『寄席紳士録』(1977)所載。(八木忠栄)




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